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【第177回(2019/4/16)】「近作について~二つの公共建築を通して~」

建築家フォーラム第177回では、遠藤克彦氏が登壇。遠藤氏は2007年「豊田市自然観察の森ネイチャーセンター及び周辺施設」のコンペで最優秀賞を獲得して以来、数々の実績を積み重ねている。

今回の幹事、国広ジョージ氏によれば、遠藤氏の建築は「彼の性格をそのまま具現化したような、鮮明でストレートな建築だ。戦う建築とも言えよう。建築をコンセプトの具現化として実現しようと戦う姿勢が鮮明に現れている」と評される。今回は、遠藤氏の建築の世界における足跡をたどりつつ、現在進行中の「大阪中之島美術館」、「茨城県大子町新庁舎」の近作2例を中心に独自の建築論を展開した。

遠藤氏が事務所を設立したのは1997年。東京大学大学院の原広司研究室に在籍中であったが、翌年には退学し、実務に集中する。それから10年近く、個人の住宅や別荘を中心に設計していた。「住宅や別荘はあくまでも建て主の私的な所有物。別荘などは時が経つにつれ、周辺の木々に覆い隠され、そこに建っていることさえわからなくなる。周囲への影響力を失ってしまう。自分の設計した建物から社会性が失われてしまうのではないか」。遠藤氏はこのような危惧を感じるようになった。

そこで取り組むようになったのが、公共建築のプロポーザルだ。学生の時に新居千秋氏の事務所でアルバイトをしていた折に、これからの公共建築はプロポーザルという仕組みに変わっていくこと、設計者はプロポーザルに対応していかねばならないということを知ったという。

ただし、「プロポーザルという仕組みは実績主義であり、経験の少ない設計者には優しくない」と遠藤氏。どうしたら公共建築への挑戦権が得られるのか。遠藤氏の指針となったのは、師のひとりである原広司氏の「どんな建物でもいいから、とにかく実績を積み重ねていくこと。そして手がける建物の規模をひとつずつ大きいものにしていくようにすること」という言葉だった。

2005年から遠藤氏はこれまで約80本弱のプロポーザルに挑戦。初めて最優秀賞を勝ち取ったのは前述した2007年の「豊田市自然観察の森ネイチャーセンター及び周辺施設」だ。次の「大阪中之島美術館」まではさらに10年かかった。各種プロポーザルには年に6本ほどのペースで応募してきたが、次点どまりが相次いだ。審査員に提案の価値を認めてもらわなければ勝てない。しかし、既成の想定内におさまるような提案では自分が挑む意味がない。「そのバランスが難しい。いつも悩んでいる」と遠藤氏は語る。

2017年の「大阪中之島美術館」では、コンペの段階で約40案をつくったという。「何をすべきなのかはなかなか見つからない。しかし、こうしていくつも案を考えてみると何をしてはいけないのかはわかってくる」と遠藤氏。

2018年には茨城県大子町新庁舎のプロポーザルにて最優秀賞をとった。人口の大半が65歳以上という高齢化の進んだ町で何を提案できるか。遠藤氏は、建築を単体では考えず、町づくりの一部として提案するようにしている。

(C)遠藤克彦建築研究所

その一端として大子町には現地オフィスを開設した。ここを拠点にワークショップを開催し、住民と協働する意識を相互に培っている。この大子町オフィスでは、カフェ、ラウンジ機能を持たせていくことも考えており、将来的にはゲストハウスのオープンなども構想にある。

公共建築を考える際、遠藤氏がもっとも大切にしているのは、まず全体の構想、コンセプトだ。「構想自体が”自走”していくこと。公共建築では政治や予算などの関係で与条件が変わることがよくある。構想がしっかりしていれば、規模や仕様が変わってもぶれることはない。強いメッセージが必要だ」と語る。

公共建築に挑戦し、日々の闘いの中で作品を創作している遠藤氏。その過程がうかがえる講演となった。

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