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【第165回】「Before planning after planning 」

近年、注目される30代の建築家のひとり、能作淳平氏。2016年開催の第15回ヴェネチアビエンナーレ国際建築展に出展した「高岡のゲストハウス」で審査員特別賞を受賞したことは、記憶に新しい。また、当フォーラムの手塚貴晴幹事が教鞭を取る大学で教え子でもある。手塚幹事にとって、大学時代の能作氏は、「考え抜いてものをつくる」姿勢が印象的だったという。

今回の登壇で、能作氏が紹介した自身の作品は、「ハウスインニュータウン」「神泉のリノベーション」「冨江図書館さんごさん」「高岡のゲストハウス」など住宅が多く、リノベーションやコンバージョンなど、ほとんどが既存の建物をベースに計画されている。いずれも、躯体を残して内装や設備などを刷新するような表層的なものではなく、既存の躯体を解体して大胆に組み換え、また、瓦などの部材を生かしながら、時代やクライアントのニーズに合ったまったく新しい建物へと再生を試みている。

それらにはいずれも、能作氏が建築家として独立し、初めて携わった新築の作品、「新宿の小さないえ」を計画したときの分析が背景にあるようだ。当時、クライアントである若い家族の話を聞くうち、作品をつくるというより、「家族(や建物)の変化を長い目で見ていく(また、反映する)というスタンス」で計画を練ったという。

以降、建物に関わる時間の流れを、40年ほどの「家族・機能の時間」、80年ほどの「建物・モノの時間」、さらに長く範囲の広い、「地域・文化の時間」に分けて考えるようになったと話す。新築や改修、保存という「建設の時間」はそういった流れの中で、動的に流れていく歴史の1つのプロセスとしてとらえ、能作氏にはそのときどきに関わる建物や人に対してすべきことが見えてくる。

また、それらの作品で同様に、「アドホクラシー」を大切にしているという。これは、もともと官僚主義、「ビューロクラシー」の対義語としてつくられた造語で、「臨機応変にその場で体制を変える」という考え方を意味している。それに能作氏の設計に対する考え方は近く、その場で見つけた地域の歴史や社会、自然に関わるものや、既存建物に使われていた素材などを、臨機応変に設計に生かす。その地域に生き残る、手工業の技などを施工プロセスに取り入れることもある。「その結果、個性ある建物や空間が生まれる」と説明する。

 ヴェネチアビエンナーレ国際建築展で審査員特別賞を受賞した「高岡のゲストハウス」にも、そうした能作氏の考え方が多く反映されている。この作品は、幼少期に暮らしていた実家をゲストハウスに再生する計画だ。実家の母屋を解体し、躯体の一部や既存の部材を再利用しながら、中庭を囲むように3つの建物に組み直したという。祖母が暮らす家とゲストハウスの客室、そして食堂である。従前の屋根はそのまま切り取って一旦保管し、新たな建物のひとつに移築した。また、瓦や欄間、雪見障子などの建具のほか、能作家を象徴する伝統産業の銅器は建物に組み込んだ。建物の記憶を継承しながら、間取りや機能を変えて、今の時代と家族の状況に合う形に生まれ変わらせたのだ。

 また、能作氏の作品は、既存の建物をベースに「現在」のニーズに合わせてリノベーションなどをするだけでなく、その後も2期工事などとして手を加えていくケースが少なくない。質疑応答の際に、手塚幹事はその点に触れ、「建築家の喜びである、完成の瞬間がないように見える。これは、建築なのだろうか」と問いかけた。

これに対して能作氏は、900年ごろに創立され、約200年もの間、代々の設計者が住みながら増築を続けたフランスのクリュニー修道院を例に挙げ、次のように回答した。「自分の作品をつくるというより、社会の要望に合わせ、そこにもとからあるものを結び付けて編集し直すことも建築家の仕事なのではないか。今、建築はこれまでのゼロからつくった時代から、アレンジする時代に移り変わりつつあるのかもしれない。リノベーション、コンバージョンも含めて、そういうアプローチは社会に求められていると思う」

 建築関係者のみならず、エンドユーザーにも注目され、個人から企業までの幅広いオファーが相次ぐ。そのことが何よりも、時代との親和性を物語っているのではないだろうか。

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