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【第166回】「40歳前で開花した構造デザイナー!!」

建築家フォーラム第166回で登壇したのは、Arup Japanに所属する構造設計家の伊藤潤一郎氏だ。伊藤氏は東京電機大学院建築学専攻修了後、約15年を経て2017年に39歳で第12回日本構造デザイン大賞を受賞。構造設計の分野の最前線で活躍を続けている。今回は伊藤氏が自らの足跡を辿りながら、構造デザイナーとしてのポジションを得るために必要だったことを語ってもらった。

伊藤氏は、東京国際フォーラムを手がけた構造設計家、渡辺邦夫氏の主宰する構造設計集団(SDG)を経て、05年に国際的な技術コンサルタント会社Arup Japanに入社。丹下都市建築設計による「新宿コクーンタワー」、プランテック総合計画事務所の「トヨタ自動車 パワートレーン共同開発棟」などの大型物件に構造設計者として参加する。その後も第一工房による「白河市立図書館」、陶器二三雄建築研究所の「文京区立森鴎外記念館」、中村拓志/NAP建築設計事務所の「Ribbon Chapel」、團紀彦建築設計事務所の「Omotesando Keyaki bldg.」など高い評価を受けるプロジェクトに携わる。

しかし、伊藤氏は「建築家は賞をとって評価される。建築家が優秀だから評価されるだけであって、自分の構造設計が認められたわけはない」と考え、行き詰まってしまったと話す。その後、香港のプロジェクトに取り組むも1年で日本に呼び戻される。待っていたのは、ハディド・ザハ設計の「新国立競技場」の仕事だった。周囲からは「国家的プロジェクトの一員として評価される」と賞賛されたが、伊藤氏は大型案件に自分が加わる意義を見出せず、基本設計だけで離脱する。

「35歳のとき、自分を奮起させるため、”40歳で賞をとる”と宣言したことがずっと頭にあった。あと数年しかない。ここで構造設計家としての自分を賭けるつもりでやろう」。伊藤氏はこのように覚悟を決めた。会社の指示に背いて大型案件から外れたのだから、相応の実績を挙げなくてはならない。そのためにも自分の「作品」といえる仕事を残そう、と考えたのだ。

 これからの仕事は自分を責任者として、自分の名前を出させてほしい」。会社にはこのように申し入れ、了解を得てたうえで伊藤氏が手がけたのが、「クズミ電子工業藤沢新工房」と「太田市美術館・図書館」だった。安井雅裕建築研究所の設計による「クズミ電子工業藤沢新工房」は、制御装置などを扱う企業の本社兼工場の増築計画だ。築16年になる鉄骨造の既存建物の屋根・外壁と構造を残し、その内部に延床面積約2,700㎡、3階建ての新築棟を入れ子状に建築した。

外観の見た目は工事前と大差なく、伊藤氏いわく「地味な印象」だったが、第60回神奈川建築コンクールにてアピール賞を受賞した途端、建築雑誌への掲載も決まったという。

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