レター

建築家の目で見た歴史的環境

「関西の4人-4つの可能性」フォーラムレポート

関西で活躍する”元気印若手建築家”4人をパネリストに、街づくり研究会(代表:川北 英)の主催によるフォーラム「関西の4人:4つの可能性」が、10月13日、厳島神社 あさざや朝座屋にて開催された。

昨年建築家倶楽部から様変わりした建築家フォーラムの主催により、本年5月に東京で開催された同名のフォーラムに続くもので、近江 榮氏をコーディネーターに、須田修司、原田哲夫、増田俊哉、森田昌宏(いずれも竹中工務店設計部所属)が、それぞれに実作に盛り込んだ建築へのアイデア・概念を紹介した。

当日は、学生、建築家、アーティストあるいは宮島町で創作活動をしている方など、多様な人たちが集った。遠く東京より参加した方もいた。

4人に先立ち近江氏から、建築家の職能や、コンペティション審査の透明性あるいは情報公開に関する発言がなされた。

近江氏は、第二国立劇場をはじめとする多くのナショナルコンペをはじめ、BCS賞の審査員としても活躍されている。

公共のビッグプロジェクトにおいてさえ、今なお不透明な設計者選定がなされている実状があること。そのような不条理に立ち向かおうとする気概が、建築家、職能団体、ジャーナリズムともに見受けられないことへの危機感。そして、QBSをはじめとして、われわれ建築家が真の役割を果たし、確固たる建築ジャーナリズムの存在による健全な批評があって、はじめてわが国の建築文化を築いていけることなど、多くの経験に培った氏の発言であるからこそ重く受け止められるものであった。

続いて、4人のパネリストによる、ものづくりの現場における様々な想いが、「欲望の彼方に」:原田 哲夫、「記憶の依り代」:森田 昌宏、「体感の磁場」:増田 俊哉、「領域を超えて」:須田 修司といったテーマにより紹介され、建築の可能性が提示された。

大都市の商業建築に渦巻く欲望に正面から向き合い、建築表現の中に形骸化してしまった「時間」をアクティブなものとするため、コマーシャリズムにその可能性を見出そうとする原田氏。

人間の全感覚による空間把握を「体感」という言葉に置き換え、「体感の場としての建築空間の創造」を探求し、可能性を見出そうとする増田氏。

私的な記憶のコンプレックスをたよりに、これを他者とシンクロさせ、新たな記憶をつくりだして、あるがままに心地よく建築を享受しようとする森田氏。

個人のホログラフィックな記憶をたよりとして固有のかたちを創造するうえで、「領域」をキーワードとし、建築が建てられた土地と時代を正しく建築の中に封印していこうとする須田氏。

試行錯誤のうえ、実作に盛り込まれた4者4様いろいろな可能性であるがゆえに、興味深い議論が展開された。

パネリストによる発言が終り、続くフリーディスカッションでは、会場となった宮島町に代表されるような、いわゆる歴史的景観保全地区の抱える問題点や将来性に論議は集中した。

現状の宮島や、次の世代を担う子供たちが体感している都市空間に対する建築家としての想いを求められた際には、慎重な議論や再整備が必要ではないかとする原田・増田・須田とは対照的に、現状のままでよしとする森田氏の回答と、それぞれの想いによる発言がなされた。

また、原田氏に対し「宮島千年委員会」のメンバーである地元参加者の方から、更新時期を迎えながらも材料が調達できないまま現状にある大鳥居に関する意見が求められた。

原田氏は、阪神淡路大震災により壊滅的な被害を受けた生田神社を、スチールやコンクリートといった現代技術と在来木造のハイブリッドにより再建した経験を持つ。「なぜ再建にスチールを用いたのか」「木造で再建すべきではなかったのか」とする意見は、現代技術と伝統技術の選択を建築家に求めるものとも言える。伝統的な技術や素材をよしとしながらも、一方では継承者の不在や環境保全といった風潮から、現代技術にたよらざるをえないという、現代の社会そのものを映し出すような回答や議論がなされた。

このような論議が繰り広げられたフォーラムを通して感じられたことを、私見ではあるが、以下にまとめてみたい。

現代のエコロジーの論議は、人工物が自然界に脅威を与え、このままでは地球を生命体の住めない惑星にしてしまいそうだということがわかって、危機感をもって迎えられた。厳島神社のような歴史的建造物においても、何世代にも渡り受け継がれてきた精神性さえ忘れ去られようとしていた。

このような大きな危機を前にして、私たちになし得ることは現代文明の見直しと生活スタイルの変更であり、そこでは建築家あるいは建築デザインは無力であるかのようである。

しかし一方で、歴史上のそれぞれの時代に、人類はそれぞれの課題を建築様式や空間システムに表現してきた。古代の神殿、中世の教会堂、近世の宮城そして近代では工場であろうか、それぞれの時代のテーマを象徴的に解決するための手段となってきた。

そして、21世紀に再び新しいスタイルが誕生するであろうことは十分に予測され、それが地球環境というテーマに密接に関わっていることは否定しようのないことである。

19世紀末期に社会がネオ・バロックの浪費型へと進み、一方ではそれを批判する自然主義の傾向が現れた。現代社会の心理的な構造はこの時代にある面で良く似ている。

そこで、アーツ・アンド・クラフツ運動の工芸家として知られるウィリアム・モリスを思い出す。

彼の理想は伝統工芸を維持・発展すべきとするもので、伝統的な価値を大切に考え古建築物保護協会を結成し、歴史的建築の保存にも積極的な運動を展開した。ここで重要なことは、これが単なる回顧趣味ではなく、工芸を媒体にした未来社会への展望を含んでいたことである。

ドイツのバウハウスにおいても、同様に工業化に対する警告がなされ、やがてそれらが受け継がれてモダンデザインが発生するというメカニズムを通してみると、エコロジーに根ざしたウイリアム・モリスを想定することで、われわれが目指すべき現代の建築の方向づけが、おぼろげながらでも見えてくるのではないだろうか。

世界遺産である宮島 厳島神社に身を置き、あらためて建築の可能性を問いただす有意義なひとときを送ることが出来たことと、参加された皆様方に感謝の意を奉げ、フォーラムの報告とさせて頂く。

あわせて、10月15~23日の間、TOTO広島ショールームにおいて、パネリストを勤めた4人の主催による作品展「関西の4人展」が開催されたことを報告する。

最後となったが、本会の開催にあたり建築家フォーラムのご助力を賜ると共に、宮島町、厳島神社、株式会社きんでん、ダイダン株式会社、理研産業株式会社のご協力を頂いた。

これら関係者の方々に深甚なる謝意を表すものである。

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