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【第157回】 香山先生に聴く。今ご自身の建築に込めるものと、新たな建築家フォーラムに期待するもの

2017年4月25日、建築家フォーラムが再始動した。大光電機が事務局に就いたのに伴い、開催場所も墨田区両国に移った。参加者には、これまでの建築家フォーラムの足跡をまとめた書籍「『建築家フォーラム』記録集 「建築家倶楽部」からの歩み」が配布された。

 新たな建築家フォーラムの1番手で登場したのは、香山壽夫氏(建築家/香山壽夫建築研究所所長/東京大学名誉教授)。建築家フォーラムの前身である「建築家倶楽部」の草創期に幹事を務めた1人だ。

 香山氏は、近江栄氏が代表となって1991年に立ち上げた建築家倶楽部の特性を3つ挙げる。

 専業や兼業といった垣根を取り払い、設計を行うという点で立場を同じくする建築家が集まったこと。市民の関心に答えつつ、建築家として社会との関わり方や問題意識を広げていこうとした姿勢。それまでとかく難しい言葉を使いがちだった建築界対し、市民にわかる言葉で話すべきとしたこと。これらは、現在も建築家フォーラムが掲げる「難しいことをやさしく やさしいことを深く 深いことを面白く」という言葉に投影されている。

 当時の建築家倶楽部は、近江氏のほか論客として名を馳せた林昌二氏も加わり、かなり厳しい論戦が交わされたという。今回の企画進行を担った古谷誠章代表幹事も、「同じ空間の中で議論する道場的な存在になっていて、95年に初めて招かれた際は恐る恐る参加した」と思い起こす。

 続いて香山氏は、3つの近作を紹介した。

 師・前川國男氏の代表作の1つ「京都会館」の改修(2015年竣工)では、残す部分と変える部分の選択がポイントとなった。香山氏は、都市景観を形作ってきたファサードの庇を残しつつ、現在の要請に応える形でホールを再生し、回廊や、二条通りから冷泉通りへ抜ける建物内通路を新設した。香山氏は、こうした設計の過程における、多様な意見をもつ市民との関係性の持ち方の難しさも吐露した。

中庭から冷泉通に抜ける空間の壁画制作の様子。
この空間は、前川國男による基本概念であったが実現できなかった。それを実現し壁画を制作した。

 PFI事業として進められた「穂の国とよはし芸術劇場」(2013年)では、大成建設と組んで設計を担当した。香山氏は、「現在は、設計の段階でメンテナンスや事業収益など将来のことまで視野に入れて検討するよう求められている」、「(他者との共働や分業がこれまで以上に進む状況のなか)ものごとをどうつなぐかが設計者の大切な役割になる」と話した。同時に、設計者が材料をいじり、正面から空間を考えていくことの重要性も指摘した。

駅のホームから見える豊橋市の市民会館(穂の国とよはし芸術劇場)。
PFIの初期の段階での駅からのイメージ図。

 その点、原点回帰ともいうべき作業となったのが、函館市の「トラピスチヌ修道院」に制作した陶壁だ。1片30cm×40cmの陶板を200枚、香山氏自身が粘土に絵を描いてつくり上げた。

 香山氏の設計に対する思いと、変化の方向を見据えた眼差しが印象に残る講演だった。

テラコッタレリーフの「受胎告知」。粘土と格闘している様子。

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