レター

【第159回】「ヴァナキュラーなもののテクトニクスの現代的再編」

建築家フォーラムでは昨今、若手、また首都圏以外の地方で活躍する建築家に積極的に登壇を依頼している。そういった中で、第159回は建築家で2017年4月から教鞭を取っている伊藤暁氏を当フォーラムに招いた。徳島県の中山間地・神山町の古民家再生などでの活動で注目を集めている、といえば思い当たる方も多いのではないだろうか。

 今回のフォーラムのテーマにある「ヴァナキュラー」という言葉は“根づいていること”に由来し、ヴァナキュラー建築とは気候や風土のほかそこに住む人々の活動などに応じてつくられた住居や施設などを意味している。

 神山町は面積約170㎢、人口5,495人(2017年11月1日現在)、高齢化の進む過疎地である。伊藤氏はこの町で、複数の古民家のコンバージョンや新築を手掛けてきた。現在、最も名を知られている「えんがわオフィス」は、築80年の母屋・蔵・納屋の3棟をIT系企業のサテライトオフィスにコンバージョンしたものだ。竣工は2013年夏。町内の住民ともなじんでいけるよう、躯体を活かし外壁をガラス張りにしてオフィス内の様子が見えるように改修した。さらに、近隣の住民が気軽に立ち寄りやすくなる仕掛けとして、外部との中間領域である“えんがわ”を設けている。こうした工夫が実を結び、近隣の住民がふらりと差し入れに立ち寄るようになった。

 実は、従前のこの物件は古びて魅力あるものとは言い難く、伊藤氏は改修の依頼を受けて悩んだという。しかし、解体が進み、架構が現しになった姿を見て、「骨組み」の状態の建物には様々な用途に適応可能な汎用性があることに気づいた。「その土地で手に入る材料や技術を使い、気候や風土、人々の暮らしを見極めて設計すれば、“その場所ならでは”の建物となる」と話す。

 同じく神山町で手掛けた新築の宿泊施設「WEEK神山」は、周辺の環境に放り出されたような体験ができる施設を目指し、斜材や耐震壁のない木造ラーメン構造で設計されている。

ヒノキを22本切り出し、350φの丸太に加工して構造に取り入れることができた。結果、開口部の大きなガラス張りの木造の施設を実現。河岸段丘半ばに建つその建物は、外部から見れば豊かな自然に溶け込み、また、内部からは山々へと視線が抜けて宿泊者は自然との一体感を味わうことができる。「各地域ならではの生産・流通の仕組みまで鑑みることで、設計の可能性が広がった」と伊藤氏。

 また伊藤氏は、ヴァナキュラーなものやその発展は、建築や都市の住まい手や使い手の役割が大きいと指摘した。たとえば、建築家と建物との関わりは実は竣工までであり、以降、長らく関わっていくのは住まい手である。長い年月使いこなすうちに、ヴァナキュラーな建築とそれを形作る社会との間に新たな関係性が生まれるからだ。

 如実に伝わる例として伊藤氏が挙げたのはまず、2016年のベネチアビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を獲得したスペイン館の展示「unfinished」だ。金融危機により建設途中のままのビルに自由に人が入り込み(スクウォット)、思い思いに自分の住処をつくり暮らす様子がレポートされている。もうひとつはレム・コールハースなどによるナイジェリアの首都ラゴスの都市計画のリサーチだ。道路計画の不備で車の渋滞が起こるものの、渋滞中の車を目当てに物販店が集積し、賑わいが生まれまちが自然発生していく事例が紹介された。

 今、日本で盛んに叫ばれている「地方創生」は地域のため、他人のためであり、社会貢献が重要と考えられがちだ。「しかし、こうして考えていくと、まず(関わる)人自身が楽しい、嬉しいと思えることが、その地域にとって重要なのではないか」と伊藤氏は話す。地方創生の活動は、関わり始めた当初は社会貢献的な高揚感や充実感が得られるが、そこには「地域のため、社会のために自分を犠牲にできるのか」という同調圧力が付きまとってしまう。外部から人が訪れるのはそんな重々しい空気ではなく、楽しさがにじみ出る場である。

  建築は一時代の社会的要請や流行的なかっこよさを体現するのではなく、その地域の人たちの生活の場となり、長い歴史の中で持続的に更新されるのを見据えることも重要ではないか、と伊藤氏は結んだ。

最近のレター