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【第135回】「周縁からの建築史-東京工業大学篠野研究室の歩み-」

2014年11月13日の第135回建築家フォーラムは、ゲストスピーカーに東京工業大学教授の篠野志郎氏、聞き手として武田光史氏を迎えた。篠野氏の専門は建築史・都市史で、トルコ共和国東部から旧ソ連邦のアルメニア共和国、ジョージア共和国にまたがる東アナトリア地域、及びシリア・アラブ共和国の歴史建築の調査・研究に長く携わる。7月には、4期に亙る17年間の調査・研究成果である学術報告書を脱稿したばかり。今回のフォーラムでは、豊富なスライドとともに、その成果の一端が紹介された。

東アナトリアは有史以来、多くの民族が移住・定住を繰り返した地域で、多様な文化が形成されてきた。4世紀から18世紀にかけてキリスト教建築がつくられ続け、その長期的な発展を見ることができる希有な地域でもある。講演のタイトルでは“周縁”としたものの、篠野氏自身は「決して“周縁”とは考えていない」と語る。

東アナトリアの歴史建築の様式には西欧やビザンツに先行するものがあり、すでに7世紀の時点で多様な平面形態を生み出していた。西洋の建築言語では語ることのできない、独自の形態や空間構成を持つ。また、時間軸の上でも上位の技術が下位の技術を駆逐することなく併存し、進化論的な歴史観では読み解けない。

篠野氏は「この地域の建築は、西洋建築に対抗しうるひとつの領域を形成しているのではないか」と措定し、調査の対象を当初のアルメニアからトルコ、ジョージア、シリアへと広げていく。その際、アルメニア建築研究の先駆者であるオーストリア人美術史家ストシィゴフスキーとアルメニア人建築史家トラマニヤンの視点に立ち返ろうと考えた。彼らの物語を追体験するため、トラマニヤン自身も帰ることがなかった生地や、ふたりが研究会議を行った家にまで足を運んでいる。

次々と示されるスライドでは、篠野氏の研究の流れに沿って、東アナトリア各地に残された7〜11世紀頃の教会や修道院の遺構が紹介された。それぞれ、時代や地域によって個性があり、建物全体のフォルムも、ドームの架構も柱の形や並び方も、実に多種多様だ。中には、意味不明の付け柱や使い道の分からない部屋、上る手段のない上階まであり、様々な形態やスペースが混在している。

西洋の教会とは違って、遺構の多くは人里離れた荒野や山頂に孤立している。過酷な立地条件に加え、民族・宗教の多様性から紛争が絶えない地域だ。講演では、現地調査の困難を忍ばせるエピソードの数々も、篠野氏一流のユーモアを交えて語られた。それを乗り越えた末に持ち帰られた貴重な写真の数々は、聴講者の多くに新鮮な感動を与えたことだろう。

「東アナトリアの建築は、近代建築における合理主義・機能主義へのアンチテーゼになりうるのではないか」と篠野氏は示唆する。これまで“周縁”とみなしていた地点から建築を捉え直すことで、全く異なる世界が見えてくるかもしれない。そこには、建築史の研究者のみならず、建築に携わる多くの人にとって、新たな視座を得るためのヒントが示されているように思われた。

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